住職のお言葉

俺が俺でなぜ悪い

「俺が俺でなぜ悪い」人間は生まれた時から自分の風が吹いている。
親、先祖から受け継いだ「生命のまこと」計り知れない遺伝子の働き、
欲望や好き嫌いの性質。皮膚・骨格・髪・免疫・循環機能・眼・耳・鼻・舌・感覚
すべての生活機能は自分で造り出したものではない。
ご先祖様からの賜り物であり、天地自然の真如実際である。
かたじけないことに煩悩や欲望、歓びの感覚まで標準装備で生まれてきてる、
嬉しいじゃないの。
仏教ではこのことを「如是」といい、自分が自分らしく生きる姿を「如是経」
といっている。
基本的人権もこういった理解が重要で、民主的権利の平等という他者に対して
比べての権利といった上辺の認識とはチョット違う。
基本的人権は母親の胎内いるときから生じていることを知らなければならない。
「間尺にあわねぇ」という言葉がある、
間尺とは建物でいえば柱と柱の間の尺をいう。そこに入る建具の寸法
がドンピシャリと合わなければ間尺に合わないのだ。戸も入らなければ動かない。
カンナのかけ方で微妙に違ってくる。
因みに大工道具に差し金という道具がある。聖徳太子が考案したものだという。
そこから生まれた言葉に「余計な差し金」という言葉がある。
他人が口出ししてお節介をすること。
現代社会はどうだろう、余計な差し金が多すぎる。
それがストレスになり、腑に落ちないまま生きていかざるえないのか。
それでは折角の命がもったいない、ご先祖様に申し訳が立たないとおもう。
坊さんが用いる食器を応量器といい自分の分量を戴くことに由来する。
やがて自分の分量を悟り日々変化し時に異なる「俺」を知る。
そのことを「等正覚」といい、僧侶自体も応量器と称する。
自分に対しての「等」に出会うことが修行の眼目なのだ、
別に余計なことを知ることではない。
だから「みんなと同じに」と聞くとムカッとする。
まァそんなことは忘れて、ご機嫌のいい日常に励んで、楽しいこと考えて、
人生の醍醐味を感じるのが、自分に対しての誠意だと思う。
「先祖も喜んでいるに違いない」
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